「こんなもんだろう」

「こんなもんだろう。」 ひとは、多かれ少なかれ、どこかでそう思っているものです。 


そして、「こんなもん」が、今現在のわたしたちのいる場所です。


「こんなもん」が、決して悪くはない、と思っているときは、「こんなもんで、いっか」となるし、「こんなもん」が、辛すぎるくらい悪くなると、「こんなんでは、よくない」となる。 


“状況に合わせて”と言えば聞こえはいいですが、より正確に言うと“状況に流されて”「これでいいんだ」と思ったり、「これでは、よくない」と思ったりする、ということ。そして、たいていは、そうこうしているうちにアップダウンを繰り返して「均衡を保っている」ように見えて、たいてい同じところにいる。 それはまるで、「ちょくちょく、ダイエットしているんだけど、平均するとだいたい同じくらいの体重にとどまる」のと、よく似ている。


 人生に正誤はないので、「それでいい」と思えばいいですし、それではなんとなく違うような気がする、ということであれば、きっと「それは違う」のだと思います。 


わたしは、随分と変化に富んだ人生を歩んできたほうだと思います。そして、思うのです。今と比べると、どの瞬間も今よりは未熟だし、物事をわかっている量は少なかった、と。そして、今よりも愚かで苦しく、先が見えていなかった、と。それでも、「こんなもんだろう」と思ったことは、なかった、ということを思い出しました。 


自分はどこへ行くのか、その時わかっているつもりでも、今振り返ると、その時思ったところには行っていない。予期せぬところに行き着いた、と思う部分もあれば、やっぱり、という部分もある。「こんなもんじゃないだろう」と、前に進む気満々の若者だったからこそ、予期せぬところに行き着いたとも言えるし、行き着きたかったところに行き着いたとも言える。 


けれど、わかってきたことがある。したかったことをしたり、行きたかったところに行くことは、素敵だし、いいことだけれど、絶対必要なわけではないんだ、ということ。 


自分が若い時、したかったことを全てして、行きたかったところに全て行ったか、と言われると、決してそうではないどころか、まだまだそんなふうではない。でも、それよりも、日々の暮らしや毎日で「自分の人生を生きている」と言えるようになることが、大切なんだ、というふうに、最近では思う。その延長線上に、したいことをしたり、行きたいところに行く、というのがあるような気がする。 


実際、何を持って「自分の人生を生きている」というのだろうか? それは別に世の中にたくさん発信をしたり、ブログを書いたり、お金を作ったりということとは、まったくと言っていいほど関係がなく、とっても内的なことなのだと、最近になって思うのです。そして、その内的な成功を、いかに世の中と分かち合うことができるのか、というのが「自分の人生を生きている」というひとの成果となるのではないだろうか、とも思うのです。 


「こんなもんだろう」では「自分の人生に流されている」のです。 


「こんなのがいい」これが「自分の人生を生きている」サインのひとつかもしれません。 



今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。 

「こんなもんだろう」という声が、結構あちこちから聞こえてくるもので。 



ザ・ライフアカデミーでは、「自分の人生を生きる」を、具体的にしていきます。 

Mika Nakano Official Blog

軽井沢から、ライフ・文化・自己実現・現実化・コーチング・ピープルビジネスのエッセイをお届けしています。

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