”不測の事態”と、セレンディピティ

「驚きのある楽しみ」とか、「新たな世界の扉が開く」という経験は、いつだって“不測の事態”からやってくる。 


1週間前。釣り名人の友人が魚を共通の友人宅にお届けしているfacebookの投稿をみて、「いいなぁ、美味しそう。うちにもいつか、お願いしたいわ」的なことをコメントしました。


以前からわたしは「口は食べるためだけにあるのではない。」という名言?を伝えてきました。望んでいるものがあれば、とりあえず伝えてみる、ということは、特に日本人にとって大切だと思うのです。「自己実現のために“自己表現”や“コミュニケーション”をする」ということが習慣になっていないので、思ったり願ったりしていることが「誰かを傷つけたり、迷惑になるようなことが、ないかどうか」の“セーフティーチェック”をして、オッケーであれば、伝えてみる、というくらいができればいいのだと思うのです。 


そうしたら、その釣り名人が、3日後、長崎で釣ったという体長1メートル、重さ4キロ以上あるヒラマサという魚を、二匹も送ってくれました。 ひと言わたしが願いを口にした(投稿した)ことから、1メートル級末端価格2万円の美味しい魚が二匹も届いたのです。 なんと嬉しい、これぞ棚ぼた。



さて「驚きのある豊かな人生」の第一の関門。 まるでマグロの解体ショーのような大物を前に、そもそも刺身を切るなど、ほとんどしたことが無かったことに気づく。そうだった。わたしは料理が好きだけれど、和食はそれほど得意ではなかったんだよなぁ・・・しばし、ぼうぜんとした後、いつかこんな日が来るかもしれないと、数年前に刺身包丁を買い、さらに数千円かけて研いでもらったことを思い出した。チャンス到来、ついに、これを使う日がきた! 


インターネットを見れば、和食職人による動画で魚のさばき方がいくつも出てきます。今の時代は、たとえ初めてのことでも、自分で苦労する必要がなくなってきているんだ・・・そんなことを思いながら、作業を進める。よし、なんとかなりそうだ。 


 そして、「驚きのある豊かな人生」第二の関門。 こんなにたくさんある魚、今日明日で美味しくものだけど、一体五人家族(一人は幼児で数に入らないため実質四人家族)で、さて、どうしよう? 


そこで「突然なんですけど、今日の夕食・・・」という誘いを誰かにしよう、と考える。でも、子どもが小さい家族はお互いに大変そうだし、かといってオトナだけの家庭も、ものすごく親しい家族がいるわけでもないことに気づく。 


そうした時に、夫が不意にこういった。「ヒラマサだから、平間さんは?」ジョークのような発想です。 


平間さんは、小五の娘の同級生のご家族。ご夫婦ともバークリー音楽院卒業という素晴らしい才能の持ち主で、テレビを見ると、1日に何度も平間さんが作った音楽がCMで流れてくる、そんな方なんですが、何せ、3年前に一度、地元の国際交流BBQの場で会って、その後facebookの友達で繋がっていたというくらい。 


「口は食べるためだけではない」のフィロソフィーの元、ダメ元でメッセージをしてみた。時間は5時を回っている。もう夕食の準備もできてるだろうなあ、見ないかもしれないなぁ・・・ 



2時間後、我が家では、賑やかな宴が繰り広げられていた。平間さん家族四人が来てくれて、テーブルにはわたしが何とか作った刺身、カマ焼き、心臓や肝の煮付け、胃や腸の湯引き、皮やエンガワの揚げ物、ポアレそして〆のお茶漬けが並んだ。日本酒3種の飲み比べや、焼酎・ワインも入り、おとなは自己紹介含めた人生の振り返り、保育園から中学生までの子供達もそれぞれ楽しそうに遊びに熱中、気がついたら夜中近くになっていた。おまけに、若い頃ちょっとだけ志したジャズを歌うことや、うちの庭でイベントをする案まで出て・・・ 


 “セレンディピティ”という言葉がある。偶然の幸運、という意味。それというのは、こんな風なものなのかもしれない、と思う。自分の努力とかじゃあなく、天から降ってくるものなんだけれど、少しの勇気と冒険心よって、“不測の事態”を人生に招き入れるっていうこと。それが、豊かな人生を作るひとつなんだなあ、と。 


今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。 

平間さん、ヒラマサつながりで呼ばれたと喜んでくれました。それもまた、セレンディピティ。      

Mika Nakano Official Blog

軽井沢から、ライフ・文化・自己実現・現実化・コーチング・ピープルビジネスのエッセイをお届けしています。

0コメント

  • 1000 / 1000