今さら、やっぱり、でも・・・が、本当じゃないだろうか
今さら、クリスマス。
先ほど、7年ぶりにカラオケに行きました。
わたし、無類のクリスマス好きなんですよね。3月といえば、キャンディーズ「もうすぐ春ですねぇ」ならまだしも(正しくは「春一番」だっつーの。というか、選曲自体がひどい・・・)久しぶりのカラオケで選んだのが、BOYS II MEN の LET IT SNOW。どんだけ、クリスマスやねんって。
クリスマスというのは、キラキラしているじゃないですか。この歳になり、”わびさび”もわかって来て、古都の美しさとか、仏像の深みとか、それはそれで堪能したいと思うようになりましたが、やはり、わたしはキラキラ好きなんです。さまざなものに施されるデコレーションや、街自体も色鮮やかに彩られ、人びとは気もそぞろになっていく、という様は、見ていても、自分がそこにいて経験していても、決して悪くない。
ところが、ある時期、というか、ここ10年ほど、そういう現世的なもの?に惹かれるのはどうかと思っていたりしました。
自分がシックに好きだと思うものに囲まれて暮らすことは、こよなく愛しているわたしですが、ミーハーチックに世の中についていくというつもりはなく。そう考えているのは、若い頃、バブルの燃えかすが残る世代として生きて、あの煌びやかさこそが、成功であり幸せであり、目指すところと思った自分がバカだった、と後悔しきりだった、ということがあったのだと思います。きっと。
そして、そんなことに時間とお金と若さを使ってしまっても何もなりゃしないとわかった時に、当然、若干の虚無感を感じ、呼吸法とか、仏教、ヒンズー教、などを少しかじったりしながら「現世の幻よりも、美しい内的な世界(表現は全く違うのですが、物質的なものに惑わされるなかれ、そんなことよりも崇高で、恒久的なものがある、というような)」的な考えに出会い、そうだそうだと、生臭くあったとしても、まやかしに生きることはよろしくない、と思ったのだと思います。
そして、それを一巡して思ったこと。
本当にね、もう欲しいものってのは、ないのよ。このままで幸せ。今以下でも幸せ。と、心から思ってしまった。
しまった、というのは、”不覚にも”そう思った、という意味です。”不覚にも”とは、”うっかり”という意味です。意図したり、頑張って、または意識して思ったわけではなく、本当に「素」で、自然に、そう思ったのです。
そこで、やっと、気づきました。 (許可できました、かな。)
煌びやかさが好き。
それで、いや、それが、いいではないか!
どっちでも幸せなのだから、どっちかというと、放っておいて好きという方にいけばいい。そもそも、どっちみち、幸せさ加減に、大差はないのだから。
真実の成長とは、結局、同じところにいながら、全く違うことを感じられる状態になったことを言うのかもしれません。
世の中の軸→自分軸→色即是空軸→どっちでもいい軸→本当の自分軸。
こういう、精神的遍歴の過程を経て、たどり着くものであれば、そこが安住の地であり、そこが無理のない住処なのではないのかな。
カラオケ帰りに、ちらっと、そんなふうに思いました。
今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。
この写真は、うちから徒歩5分の教会の写真。ん〜、やっぱ、綺麗なものは綺麗。
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