夢、希望、そして現実
そう言えば、スイスのシャーレーに宿泊して、冬は隣接のスキー場でスキーと夜は暖炉でワインやチーズフォンデュを楽しみ、夏はハイジが出て来るような山をハイキングしたいと思っていたなぁ・・・
「時間にも、お金にも、制限がなかったら、あなたはどこで何をしますか?」
このコーチング質問が、とても好きでした。 制限をはずすこのような質問は、普段の同じことの繰り返しになりがちな暮らし、そして、それをするうちにスッカリ忘れてしまった夢や希望など、その人のパワーの源に触れるきっかけになるからです。
何千人にもこの質問をしてきて、その反応が何パターンかあることがわかりました。
ひとつ目は、すぐにニヤニヤし始めるひと。 こうした反応をするひとは、自分の潜在的な望みを持つことを認めている方です。 状況や環境さえ整えば現実も進む場合と、ただの“夢見がち”なだけの場合があります。
ふたつ目は、表情が変わらず、静止状態になるひと。 こうした反応は、制限が外れるということを考えたことがなくて戸惑っている方です。 「時間とお金に制限がないなんて考えられない・・・」そこに意識がいってしまい、その先の望みや希望まで思考が回らない方です。
みっつ目は、厳しい表情で、怒ってるの?という雰囲気になるひと。 自分に夢や希望があることや、制限を外すなどという“非現実的”なことは、許可していない=考えることもできないし、考えるべきではないと思っている方です。
自由に発想が持てて、自分の望みを知っている、そしてそれに対して実行力を持っているひとは、変化に富み、アクティブで、自由な経験をされていらっしゃる。この質問をした時に、ニヤニヤできるひとというのは、そっちに行こうという意欲がある方です。
一方、発想自体が滞る、または許可できないと思って居るひとの場合は、本人が思って居る以上に思考も行動パターンもガチガチになってしまっていて、これ以上の可能性を考えるということが出来ない、という方。
わたしは、人生は楽しんだり、学んだり、変化に対して前向きである、という状態の方が、そうでないより豊かだと思って居る。そして、そういうことをしようと思ったら、持って生まれた力を発揮していなければ、できないはずです。だから、豊かな人生と、自分の力を発揮するということは、密接な関係にある。
自分の持っているものを駆使して、何かいいものを作るーそれが人生というアートであり、それを自己実現と呼んでもいい。
ところで、冒頭の質問「(制限を外したら)どこで何をしたいか?」は、Do(行動)を聞いている質問なんだけど、わたしがその質問をするのは、その先にあるBe(在り方)への入り口とするのが、目的。Doが目的ではないんですよ。
質問を使いこなせるっていうのは、つまり、ひとの可能性の鍵を持っていると同じこと。 その鍵を開けて進むと、意外と、その行動を取らなくても、その状態は保持できたりします。それにその状態を自分で作り出すことができたら、ブレなくなるという利点も。Doの部分に翻弄されなくなるため、逆に大きくDoもできてしまう、という素敵なアンビバレンスが、起こるのが魅力だと思います。
でも、Doもしないのに(出来ないのに)Beばかり、というのは、ちと調子が悪いというのも同じくらい言えます。
夢、希望、現実は、一本のラインになるのが美しいし、見ている者にとっても気持ちがいい。それが、本来の姿だと思うのです。
今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。
うちの子たちは、今日、スイスではなく群馬県のスキー場に行ってるらしい。
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