45歳で授かった命
できるかできないか、わからない−−。 そんな思いで5年を過ごしていました。 40歳で結婚、45歳で人生初めての出産でした。
あるひとたちは、なんの問題もなく、欲しいだけ子どもを持つことができる。
あるひとたちは、望んでいて申し分ないほど準備ができているにも関わらず、持つに至らない。
またあるひとたちは、望んでもなく、準備もできていないのに、授かる。
前置きがいつになく長くなってしまいました。この話題、現代社会を生きる多くの成人男女にとって、繊細なテーマのひとつだと思うのです。
子どもを望みながら思い通りに授からない女性の気持ちは、その立場になったひとでなければなかなかわかりません。 自分に落ち度があるかに思えたり、生物的または女性として劣っているのかと疑ったり。そして、理不尽で不公平なこの世や神に対する恨めしさを感じ、最後には、無力感に襲われる・・・
普通は子どもを持って初めてできる“ママ友”ですが、わたしの場合は子を産まぬうちに、できました。上の二人の子が、夫の前妻との間の子どもなので、結婚直後には幼稚園つながりのママ友が出来たのです。彼女たちに不妊の悩みを話すと、なんと半数近い方が同じ悩みを持った末に授かったのだったことがわかり驚きました。彼女らから評判を聞いて、漢方を飲んだり、不思議な整体に行ったり、波動を見て思考を変える指導を受けるような治療院に行ったり、呼吸法をしたり、いろいろなことをしました。 でも、ダメでした。
妊活中、同じように高齢でギリギリまで不妊治療を試みるひとたちが、とんでもなく多いのにも驚きました。経済的にも、身体的にも、精神的にも、負担が大きい不妊治療は、みんな、期限を決めて取り組んでいました。病院で出会った女性が「ベンツが2台変えるくらいの金額をこれまで費やしている」と言っていたことが印象的でした。
ある出張中の新幹線で、仕事の準備をしていたわたしの隣に、赤ちゃん連れのお母さんが座り、わたしは一瞬、イラっとしました。仕事の邪魔になると思ったのと、羨ましかったのと・・・。 けれど、実際には、自分でも驚くくらい親しく話しかけてしまった。そうしたら、驚くことがわかったのです。
そのお母さんは7年の間、不妊治療にできることは全てした、というひとでした。体外受精に通っていた大阪の病院の担当医が、なんとわたしと同じだったことがわかり、私たちは手に手を取って話し始めました。「ある日、もう疲れちゃって、諦めたというか、手放したの。そしたら、なんと、自然にできちゃって!」 そのお母さんの話を聞いて、わたしは「やっぱり」と思った。執着なのか、副交感神経の話かは、わからない。でも、擦り切れるほどの願いや意図では通らないものが、ある。
45歳で初産の妊娠出産は、非常に少なく日本の新生児のうち0.007%だそう。確かに現実化の力が強いわたしなのだけど、こればっかりは「わたしの現実化の力だ」というには、おこがましいと思ってしまう。確信はない。でも、多少の「これが理由かも」という可能性は、いくつか、ある。 それは、自分にできる事と、できない事。これを見極める事のような気がするのだ。
わたしは45歳になる前に半年間、休業宣言をして休みをもらいました。そうしなければ、一生後悔すると思ったから。けれど、ノープラン。あれ以上の不妊治療は、何もかも、too muchに思えたから・・・。
「できても幸せだし、できなくても幸せ。」 それが、わたしの本当の想いになっていた。
わたしの仕事・他のひとの仕事・神の仕事。 それを間違うと、とことん苦しむことになる。
これは、妊活に限らず、すべてのことに当てはまる。
「天にお任せ」そう思って、休みに入った途端、具合が悪くなり風邪かと思ったら、妊娠していることがわかった。
今日は、わたしの娘の4歳の誕生日。
この上なく、人生が愛しく思える日だ。
今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。
ひとはとんでもない量の愛を、いろいろな人からいただいているものです。
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