直感と、”鳥声をおって開かれる”春


朝の光がさす窓の外から、小鳥のさえずりが聞こてきた。「あ、春・・・」ユキは、長年世話になったお茶の恩師の言葉を思い出し、呟いた。 


『春は鳥声(ちょうせい)を逐(お)って開く。』 


もうすぐ小学校一年生になる息子が、難解な響きをつぶやく母をけげんな顔をして見た。 


「“春は、鳥のさえずりを追うように訪れる”という意味よ。ママの先生が教えてくれたの。 ほら、外から小鳥のさえずりが聞こえるでしょ?春が来たって、鳥の声でわかるのね。」 


窓から外を見上げる息子の姿に、先生の影がかすめた。入院している先生に、そろそろ会いに行かなくちゃ。 


信州で生まれ育ち、小学校教諭となったユキは、結婚後実家の近くに居を構え、数年前に二人の息子の出産を経験した。自分の子どももそうだけれど、担任として受け持つ子供たちの才能を見出し、その子らしさを発揮してもらいたいと思っていた。そして、何よりも、自分の人生を豊かにする、ということに興味があった。 そんな中、子育てでお世話になった助産師さんのところで出会った仲間がコーチングを含む“人生の学び”の勉強会をするというので出かけた。それ以来、学び初めて今年で3年目になる。 


気がついたら40歳を超えた自分がいる。これまでの学びで、自分らしい人生に目覚めて来たとは思っている。でも、本当はもっと現実での、ハッキリした変化をする時期だ、とも思っていた。だから、さらに半年間、1ヶ月に一度の週末を講座に費やして学ぶことを決めたのだった。 


ユキがこの週末、講座で学んだ項目のうちのひとつが“直感”というものだった。 


直感は、視覚・聴覚・体感覚・味覚・嗅覚につぐ“6つ目の感覚”として広辞苑にも載っているものだ。“科学的な証明”が出来ないため、俗説でしか通用しないように思われがちだが、深く内的探索を手伝うようなコーチングではこれを使うことがある。実際、国際コーチ連盟という世界で最も大きな国際組織のコア・コンピタンス(能力規準)では、直感を使用することが“義務づけられている”のだ。 


ユキは講座で直感の演習をして、身を以てその威力を感じた。そして、“直感に似たものであっても実は直感ではないもの”の区別や見極めを習った。なるほど、直感とそうでないものがこれほど明確に、“理論的”かつ“感覚的”に説明がつくのか、と感心し、その違いをハッキリと理解した。習っても、実行しなければ意味がない。この講座に来たからには、今日の学びを活かして、人生のステージアップをするのだ。 



翌日の講座の休み時間、ユキは自宅から入ったメールを見て呆然とした。そして、インストラクターの元にフラフラと近づいた。「直感に従って行動したらよかった・・・」ユキはそう言うのが精一杯だった。それは「春は鳥声を・・」を教えてくれた先生が、今朝亡くなった、という知らせだった。 


そして、ユキは決心した。 

これまでたくさんの先延ばしをして来た。 したらいいこと、やめたらいいこと、わかっていたけれど、実行しなかった数々のことが思い浮かんだ。忙しいことで、得ることは、ない。 「すぐ、やる。」「わたしは、変化する!」 


講座の翌日、「春は鳥声(ちょうせい)・・・」をユキから初めて聞いたインストラクターから、その言葉の意味を調べたとメールが来た。 


「『春は鳥声(ちょうせい)を逐(お)って開く。』とは、春は鳥のさえずりを追って訪れる”という意味で、“物事には、その先触れとなる美しいものが存在する”という意味だそうです。」 

 

ユキは、教室の窓から、校庭の上に広がる空を見上げた。 どこからか、小鳥のさえずりが聞こえ、先生が見守ってくれているような気がした。


今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。 

わたしたちは、不思議に支えられ、支えているものです。気づきさえすれば。 

Mika Nakano Official Blog

軽井沢から、ライフ・文化・自己実現・現実化・コーチング・ピープルビジネスのエッセイをお届けしています。

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