理想の住処(すみか)


住処(すみか)——。東京の街を歩くと、どこもかしこも、「誰かの住処」だ。こんな都会の真ん中に!というようなところにある一軒家から、堂々と高くそびえる高層マンションまで。 


昨日、先輩夫婦が遊びに来てくれた。 家を建てられるということなので、3年前に自宅を建てた際に参考にした本を差し上げることにした。が、これが思いのほか、かなり冊数で、全てを持って帰ってもらうことはできなかった。こんなに買いためたつもりはなかったのに・・・わたしは本当に“家”が好きなのだ。 



生まれ変わってなりたい職業の一つは、建築家。 小学校4年生の時、自転車で“豪邸巡り”を始めた。自転車で行ける範囲の豪邸にいき、色々な角度から眺めた。特に興味のあった家の場合、持ち主にひと目会いたくて、チャイムを鳴らしたことさえあった。(家の主人は不在で、お手伝いさんが出て来たっけ・・・今思えば冷や汗) 


小学校5年生の時、1週間に1時間「自由研究時間」があった。女の子たちはグループで楽しげに手芸などしている中、わたしは一人で「家の設計と立体模型作り」に取り組んだ。モデルにしたのは、一等地にあった和風建築ながら縦にも横にも普通の家の3倍はあろうかという大きな家。夢が膨らみすぎて、ついに時間内に模型は完成しなかったけれど・・・ 


3年前、林の中に住みたくて移住した軽井沢の別荘地に、3階建80坪の自宅を建てた。詳細な部分まで、自分たちで設計した。輸入した建材、蛇口、シンク、タイル、大理石、照明、階段の手すりに至るまで、購入はすべてわたしがした。軽井沢の風土に合わせて、北米のマウンテンリゾートのシダーハウスがベース、一部コンチネンタル様式に設計した我が家は、430坪の敷地に樹齢300年の山桜がシンボルツリーとして鎮座する南向きの庭を臨む。満月の夜には林の木々が芝生にその影を落とし、晴天の日中は陽がさんさんと降り注ぎ、ニホンリスが庭を横切る。そんな申し分のない風景が広がる、わたしにとっては理想の住まいだ。 


「どうしてこんな住まいが実現したのか?」とよく聞かれるのだけど、10歳の頃から“飽くなき注目”を「理想の住まい」に与え続けた末の、自然なプロセスに思える。 


16歳のアメリカ留学で「デッキにブランコを!」と心に決め、20歳に映画で見たレイク・タホのマウンテンリゾートハウスに惹かれ、25歳で手に取った北米のハウスメーカーの本を元に図面を書き、30歳で億万長者の家の台所に立ち「こんな所で料理をしよう」と考え、35歳で暮らしたオーナーこだわりのとてつもなく豪華なマンションで培った審美眼は、高い天井にのみ装着できる「ハイスタッド・ドア」や、アルミ製ではない窓の建具を必要とした。 


興味のない人には全く意味不明なことと思うが、わたしにとっては、どれもが特別で、意味深く、そして秩序ある美しい世界のものたちだ。 



実際のところ、それは、大きい小さい、豪華質素、に関わらず、“自分の時間を好ましくさせる”ことができるかどうか、なのだと思う。自分の周りを丁寧に愛で埋める、とでも言おうか、「住処」とは、そんな場所であるべきだ。 


何年か経って、子供が大きくなり、今の自宅が普段暮らしに不便になったら、わたしが若い頃「とてもじゃないけど住むことができない」と思った街〜人口密度が高く、パーソナルスペースが小さく、その割にコストがかかる“東京”という場所に住むのだろう、と思っている。 


住処は永遠ではなく、そのライフ・サイクルとライフ・ステージに合わせて、変えるのが自然だと思っているからだ。 


というようなことを言うと、 「え、手塩にかけたこの家を、売るの?」 「愛着あるでしょ?なんで、手放すつもりなの?」と、驚かれる。 


この世にあるもの、何ひとつ「自分のもの」というものは無い。生きているほんの一瞬のような時間を、好ましくそこで過ごすことが出来たら、それだけでいいじゃないか、と心から思っている。ウォールデン・ポンドのほとりの小屋でも、豪邸でも。 


今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。 

この家を売るのかどうかを、一番心配しているのは、小5の娘のようです。   

Mika Nakano Official Blog

軽井沢から、ライフ・文化・自己実現・現実化・コーチング・ピープルビジネスのエッセイをお届けしています。

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