「生きる」こと 「死ぬ」こと


「死ぬ」というのは自動詞だ。目的語を必要としない、勝手に始まり勝手に終わることができる動詞。 

She is dying.という言葉を、留学時代に初めて聞いたときには、ドキッとした。英語とは、なんとストレートな言葉!直訳をしたら「彼女は死にゆくところです」という意味になる。確か、わたしの友人が自分のおばあちゃんのことを話していた時のことだっと思う。神妙になるわけでもなく、言い澱みもしない。その言葉は、単純な事実として語られていて、わたしはなんといったらいいのかドギマギしていた。 


その後、映画などを見ていたら、それは自分についても普通に使う言葉であることがわかった。I am dying.「オレは死につつあるんだ。」生々しい表現だ。日本語だとせいぜい「オレはもうすぐ死ぬんだ」っていうところまでのような気がする。(なんで“オレ”と急に男言葉になったのか、よくわからないけど・・・) 


なぜか、今日は「死ぬ」ということを考えている。新聞やインターネットで、偉大な作品を残したひとたち〜ミッフィーの作者のディック・ブルーナさん、矢切の渡しの作曲家の船村徹さん、が亡くなったということを知ったからかもしれない。


わたし達はみんな、生まれたその瞬間から、死へ向かって生きている。そのことを意識してもいなくても確実なことは、肉体として生まれたからには、肉体の死を経験することになっている。それは、わたしたち人間にとっての平等で、確実な事実。 


ラスト・サムライのエンディングがとても印象的だった。ラストシーンで、明治天皇がトムクルーズ演ずるオルグレンに、幕末の反乱侍のリーダー勝元(渡辺謙)の死に様を聞いた時のこと。 


明治天皇がオルグレンに言った。 Tell me how he died.(彼の最期を話してくれ) それに対してオルグレンが言った言葉。 I will tell you how he lived.(彼の生き様なら話しましょう。) 


これを見たのはわたしがコーチングをアメリカで学んだ2003年。あれからもうかれこれ14年経つのですが、再び今日、その言葉を思い出しました。 


死は誰にでも、等しく訪れる。 

違いは、どのように生きたか、に尽きる。 


人生で素晴らしいリジェンド(伝説)を残す人もいれば、そうでない人もいる。わたしは長いこと、このリジェンドを残すことは大切なことだと思ってきたフシがある。 


わたしのヒーローというのは、マーチン・ルーサー・キングJr.や、J.F.ケネディー、そしてネルソン・マンデラのように、政治的に活躍した人たちでした。きっと、その理念を通す様子や、反体制であることが、かっこいいと思っていたんだと思う。 


最近になって、別にリジェンドを残す必要もないと思うようになってきた。ただ、どんな人もいい人生を生きたいと願っているだろうし、そうであればその人が願っている「生きたい人生を生きる」ということは起こったらいいだろう、と思っています。 


「生きたい人生を生きる」そういう力は、みんなに等しく与えられている。 

そして、そういう力を使うことが阻まれるようなトラップというのも、みんなに等しく与えられている。 


だから、「自分にはもともと持って生まれた力がある」(なかったとしたら、今、生きていないですから・・・)ということを知り、「それを活かして、いい人生を生きる」ことは、やり方さえ見出せれば、できることなんだ、ということを伝え続けたいし、具体的に教え、変化を起こしてもらいたい、と思っている。 


自ら求め、行動を起こすことで、幕があくのです。 


今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。 

映画を見た時、渡辺謙さんがご近所になるとは思ってもいませんでした。   

Mika Nakano Official Blog

軽井沢から、ライフ・文化・自己実現・現実化・コーチング・ピープルビジネスのエッセイをお届けしています。

0コメント

  • 1000 / 1000