実現率に深く関わる”感覚”
「決めたことがうまくいく」場合と、「うまくいかない」場合がある。
”決めること”にちなんだ日本語で、“決意”と“決心”そして“決断”という言葉がある。
決意は、意思を決めること。思うことだから、「頭」を使う。
決断は、最終選択をすること。選択だから意思と同じく、「頭」の仕事。
決心とは心を決めること。 決心だけが「心」がついてる。ではこれは「心」の仕事なのだろうか。そもそも、この「心」はどこにあるのか?
多くのひとは、「頭」で考えたことを「心」と思ったりしていることが多いなぁという感じがしている。「心に決めたはずなのに…どうして変われないんだろう」という場合は、けっこうな割合で「頭」が決めたことだったりする。『太り過ぎだわ、痩せなきゃ。わたし、決心したわ、夏までに痩せるの!』といった具合に。
一方、感覚で“感じた”ことを「心」ととらえたときは、結構な割合でスムーズに変化が起きたりする。「スーッと頭に入ってきた」「ストンと腑に落ちた」などというとき、それ以上の言葉も説明も要らなくなっている。その先の変化も自然に起きたりする。そう考えると、「心」は、より「感覚」に近いところにあるのかもしれない。
ということは、だ。頭で考えただけのことでは、現実化しづらいってことだ。
決めたことがうまくいかなかった時『意志が弱いからだ…』という風にして、じぶんを責めたことはないだろうか?(わたしは良くありました。) 「意志」というのは、志だからこれも“心”にちなむものだけど、これが先ほどの“感覚”が伴えば伴うほど意志が硬く、強いはずだ。一方、“感覚”はあまり伴わず、頭で考えた感が強い『意志』の場合、ある考えから、連続で考えが浮かぶようになっているのが人間。
例えば『意志が弱い』→『そんなだから何をやってもダメなんだ。』→『ダメだから何をやろうがムダなんだ。』→『自分はダメな人間だ。そして、ムダだ!』 こうなると、空気吸う権利もないみたいに思って、当然、もう何もやりたくないと思ってしまう。
このループは“人間のしくみ”だ、と私は思う。 考えてみると、このループの発端は「意志」というものに重きを置いたところから始まっている。けど、この正体は?って、考えてみると「頭」から発生したっていうことになる。なんだ、意志(志=心)が弱いっていうより、意思(頭)レベルなんじゃないか。
「頭ではわかっているんだけど・・・」というフレーズはよく聞かれる。これは、そういうことだ。頭で考えるだけでは、現実化はしないっていうこと。
ということで、今年は“感覚”を重視していこうと思う。
そういえば、「心に刻むと誓う」なんていう表現があるけど、これは基本的に『あ、これは忘れそうだから、ダメダメ、意志を持って覚えておこう』とする「頭」による決断ですなぁ。だけど実際に心に刻まれるのは、“感覚”であるはずなんだ。
今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。
人生の楽しみと、自己実現に関与するのが“感覚”と考える矛盾がオモシロイ。
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