恵まれたひと  幸せなひと

“恵まれたひと”っているよなぁ・・・ふとそんな思いが浮かんだ。さて“恵まれたひと”って? 


おそらく環境や育ち、または体型など、努力ではどうにもならないもの・得ることができない優れたものを持っている、というようなひとのことを言うことが多いような気がします。 


“恵まれているひと”は憧れられます。羨ましがられます。でも“恵まれたひと”はそうでないひとに比べて幸せ度はどうなのだろう?そう考えると、それに関してのアドバンテージはそれほど高いとは思われない。家柄が良かったり、お金持ちの家に生まれ育っても、あるいは美人だったり、スタイルが良かったとしても、他のひとに比べて悩みが減っているようには見えないのですよね。 


“ラッキーなひと”とか“運が強いひと”と言われるひともいます。そういうケースはどうでしょう?自分のことをそう思っているひとは、人生が自分の味方であるような自信めいたものを感じ、それが世の中や天に対する信頼みたいなものを持つことが多そう。そのため、結果的に前向きだったり、チャレンジ精神が旺盛だったり、打たれ強くなったりして“チャンスを掴む”とか“ピンチに強い”ということは、あるのかもしれない。では幸せと直接結びついているかというと、わたしの感覚では、近いところにはあるけれど必ずしも“ど真ん中”ではないような感じ。 


つまり、一般的には羨ましがられる“恵まれたひと”や“ラッキーなひと”は、さほど羨ましがられるに値しないということになる。 


では、幸せ度が高そうなひとは?と探してみると・・・ 


“心が広いひと”というのはどうだろう?心が広いとは、怒りっぽくなくて、穏やかで、色々なことがあっても許せる、ということなんだろうなぁ、と。これは幸せに近そう。 

“感謝ができるひと”は?これはダイレクトに幸せ“ど真ん中”という感じ。 


こう書いてみて、元々の私はかなり幸せとは遠いところにいたのだなぁ、と。わたしは小さな時から“想い”が強く、それは別の表現をすると“意思が強かった”し“頑固”だったし“自分の好み”がはっきりしていた。そのため、自己実現の力はあったように思うのです。 


でも、心が広いわけでもないし、感謝しがちでもない。むしろ、ストイックに自分を追い立てることで 目標達成をしてきた部分もあったので、自分にもひとにも厳しかった。末っ子で上げ膳据え膳のところがあり、してもらったことも当たり前と思うことが多かった。そう、余裕がないというか、肩に力が入っていますよねー、みたいな。 


“自然体”これはそんなわたしには、かなりナチュラルな幸せ度のポイントが高いかも。 “自分の好きなことをしている”これはごく当たり前に幸せそう・・・・・・。 


こんな風に“幸せ連想ゲーム”をすると、自分に足したらいいもの、減らしたらいいもの、がなんとなく見えてくるものです。 


今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。 

幸せとは、条件ではなく状態であり、作れるものなんだなぁと、あらためて思う。 

Mika Nakano Official Blog

軽井沢から、ライフ・文化・自己実現・現実化・コーチング・ピープルビジネスのエッセイをお届けしています。

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