人生の黒幕

“現状維持”しようとしていることをやめる。 −−これは、ひとの自己実現に、かなり影響する重要なことだ。 


先日、ある方がしていた話が興味深かった。彼は、「今の日本で“食うため”に働くっていうのは、ウソでしょ、ありえない。」と言った。


“食うために働く”ということは、後進国とか、政治的な圧力があり人民が食べることもままならない国とか、そういう国での話である、そして、今の日本の国のような状態では、働く理由は“食うため”以外のものであって当然でしょ、と。個別に見ると、それぞれいろいろな事情はある。とはいえ、大局的に見ると、確かにそうは、言えそうだ。 


わたしたち人間も動物なので、生存にまつわる本能が備わっている。動物であれば、生命の安全を脅かす危険を察知したら、すぐに体の色や形が変わったりするものもあるが、人間はそこまでは変わらない。(びっくりしたら黄色になるとか、全身の毛が逆立つとか、そうなったら面白いとは思うけど)でも、防衛的な態勢になることはよく知られている。 


どんな時に防衛的になるのだろう? まずは身の危険。危険ということでいえば、今の日本では何かを言ったから“しょっぴかれる”とか、時代劇のように偉いひとの逆鱗に触れると“せいばい”されるとか、そういう身体的危険は、ない。 身の危険以外では他に何があるか、というと、生活の基盤を失って“(一時的な)変化にさらされる”とか、人間関係での困難、例えば“やりづらくなる”とか“干される”など、そういったことだ。“死ぬ”ことには直接ならないけれども、“死ぬかもしれないくらい困る(と感じる)”ことがランクインされるのだろう。 この時の危険とはつまり、「変化に対する対応」や、「人間関係の対処」により回避できるものだ。ということは、今の日本で「変化」と「人間関係」に対応できれば、何の問題もない、ということになる。 


不思議なことに、人間の本能では“変化”“未知”というものであれば、どんなもので“危険”と察知することになっているという。安全な変化、危険な変化、いろいろあるのに、脳は“いかなる変化”も基本的には“脅威”と感じるようにできているという。言ってみれば「放射能物質が漏れ出した!」という時のアラームと「部長に怒られる!」という時のアラームが同じシステムなのだ。ほとんど誤作動とも言える、それほど、ポンコツというか、大雑把なんだ。この辺りは、大脳に関する働きらしいのだけど。 


それで、重要なことは、人間とは、自分の意図や夢や希望とは関係なく、“現状維持をしようとするもの”なんだ、ということだ。


Aさんが本当はパン屋になりたいと思っているサラリーマンで、思いとしては未来に向けての希望や構想があるけれど、“金銭的リスク”や“自信がない”というようなこと、さらに“家庭があり、子供がいるから”ということで、「週末に自宅で趣味としてパンを作ることが、ちょうどいいんだ。」となってしまうのは、現状維持をしようとする“本能”が、Aさんの“ひととしての生きる目的”に勝ってしまった、っていうことなる。 


わたしたち人間に備わった“生存本能”はありがたいけれど、わたしたちはもう「マンモスに踏みつけられる」こともなければ、「上様の手下に斬りつけられる」こともない、ということを知らなければいけない。そして、現状維持をしようとするのは、「賢さ」でも「慎ましさ」でもなく、わたしたち人間に搭載されたオールド・システムが、誤作動をしているんだ、と知るといいとは思う。 

Aさんは、自分の意思で“現状維持”を決めたと思っているけど、実はその黒幕は、わたしたち人間に搭載されいてるオールド・システムなんだって、ことに気づきたい。 


今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。 

新年始まったばかりだから、意味のない現状維持を見直してもいいかも。  

Mika Nakano Official Blog

軽井沢から、ライフ・文化・自己実現・現実化・コーチング・ピープルビジネスのエッセイをお届けしています。

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