ひとが求める「あの感覚」というもの

「楽しさ」って、どこから出てくるのだろう? 


贅沢をしたり、 

仕事でうまくいったり、 

褒められたり、注目されたり、感心されたり、 

お金をたくさんもらえるような話がきたり、 

モテたり、 

そういう、舞い上がったりするようなことや、 

解釈することで満足するようなことや、

ドキドキするセンセーショナルな感じとは、 

今、わたしが思っている「楽しさ」は、違う。 


なんか、こう、めちゃめちゃシンプルなことで、 

溢れるように笑けてきて止まらない、 

そして、

それが一度始まると頭が空っぽになり、 

しばらく続けたくなるあの「楽しさ」だ。 


こんな曖昧な表現でも、 

きっとわかってもらえる部分もあるのでは、 

と、思っている。 


なぜなら、ほとんどのひとが若かりし頃、 

夢中で遊んだ時の、あの感覚を知っているから。 


最近では世の中一般的によく

「脳内ケミカル」の話がされているのを聞く。 


覚醒状態を作り快感を誘う「ドーパミン」 

多幸感をもたらす「エンドルフィン」 

安らぎを感じる「セロトニン」 

愛情と幸せを感じる「オキシトシン」

などというものらしい。 


わたしには専門的なことはわらないけれど、 

ひとつ言えることは、人間にはそういう

ホルモン物質が発生する“システム”が搭載

されていていて、大きな“くくり”でいうと、 

人間であればだいたい同じ状況で、

同じ感覚感情を共有するんだ、ってこと。 



これは、国や人種や民族を超えているので、 

“世界人類みな兄弟”ってCMが昔あったけれど、

そういう意味で、それはホントだ。 



わたしが述べた“あの感じ”の楽しさは、 

どのホルモン物質が関連しているのかはわか

らないけれど、その“感覚”がよかったので、

またいつかそれを再現したい、と思ったりする。 


わたしの“記憶”は、その感覚を求めるが、

「これこれのホルモン物質を流すといいです

から」ということはわからないので、 

どうしたものかと思い、 

それに近い効果をもたらすことを求める。 


お酒を飲んでみたり 

(かなり精度は落ちる) 

ハワイに行ってみたり 

(かなりお金と時間がかかり大がかり) 

映画やテレビを見たり 

(バーチャルっていうことですな) 

そんな風にいろいろなことをして、 

ひとはそういう感覚を得ようとする。 


でも、それが単純に脳内ケミカルの話なら、

投与したり、

バーチャルで脳に反応させてホルモン物質を

放出させたりして、済むことになる。 


そうなると人生なんてとても味気ないし、

なんだか人間が被験物にすぎないように感じる。 



わたしが冒頭で書いた「楽しさ」とは、 

もう長いこと忘れていて、 

昨日久しぶりに味わったものだ。 


85歳になる母と3歳の娘といっしょに、 

雪の中で遊んだときだった。 

わたしと娘は雪の中で転がり、 

母は雪降る中でそれを見ながら笑っていた。 


今の娘の年齢の“幼いわたし”と、 

今のわたしの年齢の“当時の母”が、 

今の娘とわたしとして存在しているかに思え、 

なんとも言えないヂュアルな空間が、 

確かに、そこに、あったんだ。 


そして、そういう“感覚”というのを、 

ひとは覚えていたいと思うし、 

ひとと共有したいのだ、と思う。 


ケミカルもあるかもしれないけれど、

それ以上のものが、

きっと人間にはあるんだ、と信じたい。



 今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。 

人生っていうのは本当は遊びなんだって説は、そう考えると実にいいね。 

Mika Nakano Official Blog

軽井沢から、ライフ・文化・自己実現・現実化・コーチング・ピープルビジネスのエッセイをお届けしています。

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