「帰るところ」について

「帰るところ」ということについて、 

実は、ひとは非常に敏感だと思う。 


お正月は世の中的にはお祝いモードが満載だ。 

そこには、お祝いとは限らない別ないろいろな感情があるようにも思う。 


親や家族と近い関係のひとは、実家を訪れ、 

嬉しさ、楽しさを感じるひともいれば、 

少々の難しさを覚えるひともいる。 


既婚者なら結婚相手の実家に行く・行かない、

行くとしたら、いつ・どちらに行くか、 

ということが問題になっているケースも多い。 


帰りたいと思うけれど、 

帰る場所がないひともいる。 

親が亡くなっているひと・疎遠なひと、 

若い頃の家庭の事情で“帰るべき場所”が、 特定できないひともいる。 


わたしは家族の縁が強い家の出身ではない。

両親や家族と一緒に過ごす元旦は、二十歳から

なかった。 


40過ぎて結婚し、里心がついて帰りたいと思

っても、なかなか帰ることは出来ないでいた。 


遠いから、とか、お金がかかる、とか、

幼いわたしの娘に風邪をひかせてはいけないとか、

両親はわたしが帰省をするべきではない理由を次々と述べる。 


昨年のある時、わたしはそのことで実はとても

寂しさを感じていたことに気がついた。 


 「わたしには、帰るところがない」 


その話をしているうちに、わたしは夫の前で

おいおいと泣き、自らが“正月難民”である

ことを認識したのだった。 


振り返ると、それは小さな棘(とげ)のようなものだった。


大騒ぎするほど劇的な痛みではないけれど、 

確かに異物感があり、気になる。 

皮膚の下にあるのは見えるのに、抜けない。 

そうして、しばらくしたら、恐らく身体の一部

にでもなるかのように気にならなくなる。 


そして、季節のローテーションとともに、 

この“棘の時期”は毎年やって来る。 


昨年の12月あたりから3歳の娘がわたしの両

親の家に行きたいと、毎日のように言い始めた。 

それを聞いて、夫が「正月に行ってきたら」と言ってくれた。 


娘と8時間かけて移動して辿り着いた両親の

家で昨日、実にほぼ30年ぶりの元旦を過ごした。

“普段の延長のような元旦の夕食”をしながら、 

わたしは、あることに気づいた。 

それは、この家の正月に参加しなくなったのは、わたしだったことだった。 


酒も飲まない、儀式的な料理の準備もなければ、

初詣や親戚の集まりもない、そんな昭和一桁の

真面目でつましい両親の正月。 

儀式やイベントが大好きで、おお酒飲みだった

わたしは、若い頃にそれはツマラナイと半分

恨みがましく思いながら、他のひとたちと

他の場所で、元旦は過ごして来たのだった。 


今回の帰省を提案してくれた夫、 

毎日、両親の家に行くことをせがんでくれた娘、 

孫に振り回されながら遊んでくれている母。 


わたしは今、そういう一見、バラバラに存在する三人のことを、思っている。 


それは、一箇所の“場所”ではないけれど、 

わたしの場合、わたしの周りにいてくれるこう

いうひとたちが「帰るところ」になってくれて

いるのかなぁ、と、いうことだったりする。 


「帰る場所」というのは、 

あればそれはラッキーなことだけれど、 

そうでないのなら、実は、 

“思い出す”ことも“作ること”もできる。 


 今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。 

正月の“したい過ごし方”って、年々、微妙に変わって来ますよね。 

Mika Nakano Official Blog

軽井沢から、ライフ・文化・自己実現・現実化・コーチング・ピープルビジネスのエッセイをお届けしています。

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