Sisters in my dreams

姉が小学6年生だった時に、わたしは生まれた。 


この年になって、当時の姉の心情を思うことがある。

なにせ、12年間にわたり、良いも悪いも“特別”な「ひとりっ子」だったのに、

ある日突然「あなたはお姉ちゃんになるのよ」というようなことを言われて、

色々考えたに違いないが、結局、何も言えなかった。・・・のだと、思う。 


下に兄弟姉妹を持つ友人たちの話を聞くと、

「母の大きくなるお腹を見てどこはかとなく不快」な気がしたり、 

「“姉(兄)”というポジションにこそばゆいような自負心」を持ったりした、という。 


これまで全てが”マイペース”でよかったのに、

生活の中心が”新参者”へと変わり、 

親の注目は全て持って行かれ、

挙げ句の果てには自分が悪くなくとも、

「ひとまわりも違うお姉ちゃんなんだから、我慢しなさい!」と、あえなく追い返される。


いったい、何千回、

いや、もしかしたら、何万回、 

運命のいたずらと、“両親の気まぐれ”を恨んだのではないだろうか。 


今年の誕生日の夜、わたしはあることを思いついた。

それは、”わたしが生まれた日の姉”に会いに行くことだ。 



半世紀近く前、厳冬の北海道富良野の教員宿舎。 

これまで”自分だけのもの”だった母が、

まだ見ぬ妹か弟(当時は、生まれるまでわからなかったから・・・)を産みに、

札幌の病院に行ってしまい、すでに数日、父と2人だけの生活を送っていた。 


父が学校から帰って来るのを待つ間、12歳の姉は、人生で初めての「トンカツ」を揚げた。 


よく「子どもはいつまでたっても、何歳になっても、子ども」と言うけれど、 

わたしにとって「姉はいくつであっても姉」だった。 

けれども、私が会った小学生の姉の、なんとまぁ、“小さな子ども”だったこと! 


12年間の「ひとりっ子」を返上し、

わたしにその席を譲ってくれた少女の頭をなでて、わたしは言った。 


「偉かったね。」 


小学生の姉は、この見知らぬおばさんの言っている意味が、分からない。 

おばさんが再び言う。 


「ありがとうね。今日生まれた赤ちゃんに、あなたの席を譲ってくれて、ありがとうね。」 



姉と最後に会ったのは、8年前。 

姉の意向で連絡が途絶えて、はや4年半。 

仲が良い姉妹のはなしを聞くと、いいなぁ、と思う。


5歳の誕生日に、高校生の姉がくれたプレゼントは今でも忘れられない。

それは、白いプラスチックの食器が5客はいった”ティーセット”だった。 

お誕生席に座った5歳のわたしが、何度も驚嘆の声を上げたことを、

姉は嬉しそうに、これまた何度も繰り返し話していたっけ。 


テレビでは、姉が好きだった野口五郎が歌っていた。



今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。 

会ったり、話したりしなくても、ひとを愛することは出来るんだな。

 

Mika Nakano Official Blog

軽井沢から、ライフ・文化・自己実現・現実化・コーチング・ピープルビジネスのエッセイをお届けしています。

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