幻のなき民は滅びる

「幻のなき民は滅びる。」 

 旧約聖書(箴言29章18節) 


熱狂的なクリスチャンだった中学生のわたしは、

この言葉が大きく書かれた月めくりカレンダー

を、当時の自分の部屋に貼っていた。


けれど、「まぼろし」というのが解せなかった。


クリスチャンだった中学の担任に質問したら、

「幻というのは、ビジョンのことだよ。」

と教えてくれた。 


「キリスト教も結構、“イキ”なことを言うものだ」

と思ったのを覚えている。 

だって、ビジョンというのは、未来志向だから。 


夜中に目が覚め、突然この言葉が浮かんだ。 

いったい、どうして? なぜ、35年ぶりに? 


気になって、翌日インターネットで調べた。 

驚いたことに、クリスチャンセンターで買った

カレンダーの言葉は、もう日本の聖書では使わ

れておらず、今ではこうなっているとのこと。 


“預言がなければ民は我儘にふるまう” 口語訳 

“幻がなければ民は欲しいままに振舞う”新改訳 

“幻がなければ民は堕落する。” 共同訳 


幻は「預言」や「(十戒などの)律法」を示す

とされる解釈が多いようだ。 


なるほど・・・・余計なお世話だろうが、 

この訳では、絶対カレンダーは売れないだろう。 

少なくとも、わたしは欲しいとは思わないな。 


しかし、恐らく改訳は、原文に忠実な気がする。 

この『箴言』は、ソロモン王により記されたと

されており、 王が政策的に書いたなら、 

民の「管理」のツールだった可能性は高い。 


実際、素人のわたしから見ても、後の文脈から

して、現在の訳がごく自然だと思える。 


ただここで、いくつかのことが浮かんで来た。 


ひとつは、 

正しいものが、良い影響を与えるとは限らない。 


この二つの訳のもっとも大きな違いは、 

民に対する“見方”だ。 


改訳では、 民はもともとダメなもの。 

“我儘”で、 

“やりたい邦題”になり、 

“堕落”する。 

だから、○○せよ、というもの。 


一方、今は無き「幻の無き民は滅びる」では、

民に関しては何も言っておらず、

 “幻”の力によって民は繁栄する、

とだけ言っている。 


ダメだから○○せよ。 

と、 

○○があると良くなるよ。 


正しくは、前者なんだろうけど、 

民(つまり、わたしたち)が、 

元々“持っている力を発揮しやすくする”のは、 

後者の“間違っている”訳なんだろうなぁ。 


正しくてもダメなものって、意外と多いかも。


今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。 

もうひとつ、別に思ったことについては、また別の機会に。

Mika Nakano Official Blog

軽井沢から、ライフ・文化・自己実現・現実化・コーチング・ピープルビジネスのエッセイをお届けしています。

0コメント

  • 1000 / 1000