幻のなき民は滅びる 2

写真は、餅。

もうすぐ季節行事で見られるはずの、あの餅。


わたしが中学生の時にカレンダーにまでなって

いた「幻のなき民は滅びる」という旧約聖書の

言葉が、今や別な言葉に変わっている、という

話を前回、紹介した。 


そのことで、 

もうひとつわたしが思ったことを書きたい。 


それは、 昨日までの“常識”が、 

今日からの“非常識”になる、ことについて。 


カレンダーにまでなっていた聖書の言葉は、

様々な説教の題材に使われたに違いない。

それがある日「いやいや、そうではない」と、 

上部団体から連絡があり、突然なくなった。 

(というようなたぐいの話と、あくまで予想。)


昨日は、娘の保育園で学芸会があった。 

冒頭の園長先生の挨拶の中で、 

何気なく伝えられた言葉にもそれを感じた。 


「今年からお餅つきの後は、ついたお餅は

食べさせず、飾るための鏡餅にします。

食用は給食でパック切り餅を食べさせます。」 

保護者席からざわざわと声が上がった。 


この数日、テレビやインターネットで 

「日本の伝統が、リスク管理の名のもとに消え

去る!」と、炎上している話題のあれ、らしい。 


子どもに言ったら、「え〜、ついたお持ちが食べ

たーい。」と残念そう。 


お餅つきはさせたい、でもこんなご時世、

リスク回避のためそれは食べさせない、と、

きっと先生達も色々と考えてくれたのだろう。 


リスク回避が、伝統的な楽しみに勝ったのは、

それでも、やっぱりちょっと寂しい。 


リスク回避をする社会では、何十年かしたら 

「昔の日本人は、餅を杵でついていたという」 

という記述が残るようになるのだろうか。 



 同じ日、久しぶりに歯医者で神経の治療をした。 

歯に薬を詰めながら、先生が話しかけてきた。 


「それがですね、中野さん。以前はこの薬、

“ヒ素”を使っていたんですよ。」 


 目を剥くわたしに気づかず、先生は続けた。 


「だけどもっとビックリするのが、戦中戦後は

“青酸カリ”を使ってたんですよ。痛がるひとも、

一発で治るって言ってましたよ。ハハハ。」 


ハハハって、先生。 

わたしの口は、元々開いていた。 

だから、開いた口も塞がらず、そのまま、 

ひと知れず、だまって驚くしかなかった。 


”青酸カリ”→”ヒ素”→より安全な薬へ。

こういう時代の“常識”の変化はありがたい。 


公害など、悪影響を知らずに使っていたものが、 

悪影響がわかったら速やかにそれらをなくする。 

そういう社会であれば、 

変化も常に進化と安心することが出来る。 


争い、 

戦争、 

環境や人体を壊しかねないレベルの燃料使用、 

そうした昨日までの“常識”が、

 “非常識”に変化する社会なら。 



今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。 

 理性と共に、楽しみや創造性、そうしたものが助長される“常識の変化”が欲しい。

Mika Nakano Official Blog

軽井沢から、ライフ・文化・自己実現・現実化・コーチング・ピープルビジネスのエッセイをお届けしています。

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