暮しの手帖が教えてくれない”ちゃんとした”暮らし
“ちゃんとした”暮らし−−。
どれだけ多くの成人(特に女性)が、
この言葉を想っている事だろう。
整理された生活空間、健康的な食生活、適度な運動、そして適性(か、それ以下の)体重。
さらに仕事をしているなら、経済的土台となるキャリア作り。
もしこどもがいるなら、時間やエネルギーをかなり使う子育て、教育環境にまつわる様々なことも大切にしたい。
あぁ、憧れて久しく、しかしながら全て満たされたことなど一度もない“クオリティ・ライフ”よ!
わたしは元々、時間の使い方が超へた。
わたしのペースで物事を行うとしたら1日が48時間、いや、72時間は必要かと思われる。
とくに結婚後は、仕事をしながら、こどもを育てる生活で、“ちゃんとした”暮らしをするのは、夢のまた夢のような気がしていた。
先日、あるモデルさんのまったく“ちゃんとしていない”日課を女性雑誌で目にした。
美しいその女性は二児の母で、名前から外国の方と結婚している事がわかった。
「朝、起きたくないのでそのままベッドに。こどもが、いつも通り夫の入れたコーヒーを持ってきたので、飲んでまた寝た。夫が子連れで、ランチと買い物に行ってくれたので、昼過ぎにやっと起きてから風呂にゆっくりと入った。夕方前、やっと風呂から上がり、仕方なく夕食を作り、仕方なくその辺を片付けた。」
この方は「他人の完璧な日課」なんて書いても読者は得ることなど何もない、と思い、リアルな生活を披露することにしたんだそう。
この記事は、わたしの中の“ちゃんとした”暮らしの定義に、静かな目覚めを呼んだ。
当たり前だけど、
ひとは、何をしてもいいし、しなくても、いい。
けれども、ひとは基本的に“○○が足りない”と思っているから、そんなダメな自分を変えなければ、と思ってしまう。
そんな考えは、書店やコンビニの本売り場で刺激される。ダイエットや、断捨離、人間関係、仕事術、そしてお金。ダメな自分を“ちゃんとした”暮らしに導こうとするモノだらけだ。
わたしが“時間が足りない”と思ったのは、“ちゃんとしなければいけない”という延長線上にたくさんの項目を置いているからなんだなぁ、と気づかされた。
スキルアップや向上心はとても素晴らしい。 でも、その大元は何か、を見定める必要がある。
もっとも大事な“ちゃんとした”暮らしとは、自分らしい・目的に沿った人生を送るために必要なことをする、ということなのでは。
わたしはその週末、夫に“ひとりの時間”が半日欲しい、と、お願いしてみることにした。
夫は快く、下の子を連れて夕方まで出て来るのでゆっくりしていいよ、と言ってくれた。
手作りランチを持って、北軽井沢に行った。 そして温泉!午後はブックカフェで仕事。 さて帰ろうか、と思った時、夫からメールが。
こどもと一緒の写真で「アサリを食べたいと言うから買ったよ。みそ汁がいいって(笑)」と。
林の中でひとり大声をあげて、笑った。
そして、アサリのみそ汁を作りに家路についた。
今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。
“ちゃんとした”暮らしって、“ちゃんと”考えると、すごくシンプルかも。
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