The Name Called Coaching



正直言って“コーチング”は、好きじゃない。 


そのプロセスや在り方ではなくて、

“コーチング”という名前が好きになれない。 


理由はいくつか、ある。 

ひとつは、わたしの幼児体験。 

わたしが人生で初めて知ったコーチは、 

「鬼コーチ」こと宗方仁コーチ。 

(昭和の名アニメ“エースをねらえ”の。) 


 コーチングのキモともいえる原則 

【アドバイスはしない】 

【クライアントがするべき経験を奪わない】 

【アジェンダはクライアントが決める】 

などとは、似ても似つかぬありさまです。


宗方コーチだけではありません。 

巨人の星の、星一徹も、 

あしたのジョーの、丹下団平も。 


良いコーチングを受ければ、 

“非常に素晴らしく話を聴いてくれるひと” 

“想像もしていなかった言葉を、  

ワタシの口から引き出したひと” 

などが、ふつうのリアクションのはず。 


けれども、 

その様なコーチングを受けた経験がない人は、 

わたし同様、昔のテレビのイメージからか、

“エラそうにするひと”とか、 

“上から目線で指導するひと”とか、 

そんなイメージを持つ方が少なくない様子。 


コーチング本国のアメリカでさえ、苦労します。 

アメリカ人は初対面でとりあえず相手の職業

を聞くので、わたし自身は聞かれる度に、 

「コーチです。」 

「プロコーチ養成のプロです。」 

などと答えてきたわけですが、 

「まあ、素敵!・・・で、何のスポーツ?」 

と聞かれるケースが、おおよそ8割。

認知度は全国民に行き渡っている程でもなく、 

通常は、スポーツコーチと思われるのがオチ。 


そこに来て、 国家資格や統一規格がないためか、 

「コーチング」として提供されているものに、 

ずいぶんと差があるのも事実のようで。 


「え!?コーチング?私、知ってます・・・。」 

明らかに厭な顔でおっしゃる方が少なくない。 

その度に、気の毒に思いますし、 

なんだか、申し訳なくなってしまう。 

わたしが何かしたわけでは、ないのですが・・・ 


けれでも・・・・・・。 

コーチングのセッションや、 

コーチングのトレーニングをすると、 

やっぱり辞められない、と思ってしまう。 


どんなときにも、 どんなひとでも、 

自然発生的に本質が顕われ、 

エネルギーに満たされていくので、 

一緒にいるわたしが感謝されつつ、 

おこぼれを頂戴できるのです。 


そうして、結局、思ってしまうのです。 

「なまえは、ま、いっか。」 


そういえば、 わたしの旧姓は“佐藤”なのですが、 

それをある方に言ったら、 

「え、なんだ〜、フツーじゃないですか! 

 “高屋敷”とか、 

 “勅使河原”とか、  

 そういうのだとおもっていたのに〜。」 

と言われたことを、今、思い出しました。 


今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。 

中身が大事ってわかるけど、やっぱり、なまえって気になります。 

Mika Nakano Official Blog

軽井沢から、ライフ・文化・自己実現・現実化・コーチング・ピープルビジネスのエッセイをお届けしています。

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