ソロ活動系
「ソロ活動系女子」という記事のタイトル。アーティストのことではない。土曜の夜、タイ料理屋で一人夕食を済ませて出てきたわたしは、宿泊先のホテルに帰ろうか、それとももう少し外に居ようか考えながら、スマホを見ていたら、目に飛び込んできた。「そりゃ、わたしだわ。」
「独身」というのが一般的な定義のようだけれど、既婚者でも「ソロ活動女子」はいるらしい。
- (家族がいても)一人で過ごす時間を確実に確保したいと思っている。
- 束縛されずに自由に過ごしていきたい方だ。
- ひとりで飲み屋に入ることをいとわない。
- 「一人で生きていく」覚悟がどこかである。
- 仕事は、するものだ、と思っている。
このうちの3つに該当するなら、立派な「ソロ女」。(ちなみに、わたしは全てに該当)
そんなわたしが、と言われそうだけど、9年前に結婚して、4年前に子供を産んだ。仕事は基本的に出産の前後以外は、ずっとしている。そんなわたしには、タイ料理屋でトムヤムクンヌードルを食べていた時も、結局行き着いた二軒目のカフェでハーブティーを飲みながらパソコンをしている時も、家からの電話が入るのだ。電話を取ると、轟音ともいうべき音が聞こえる。轟音は30秒ほど続く。わたしは戸惑うこともなく、黙って聞いている。その音はなれないとわからないのだけど、大抵は、4歳児が公文の宿題をやらないと言って暴れているとか、年の離れた姉に対して凶暴になっているとか、そんな類のはなしだ。別な日は電話をとった途端に音程の外れた歌が聞こえて来ることもある。その場合は1分ほど黙って聞くことになる。出張先で娘の声を聞くのは嬉しい。と同時に、電話を切るときはいつも「やれやれ」と思う。そして、また「ソロ活動」に戻ったとき、湧き上がってくるものがある。「これ(自分が家族と離れ、仕事であろうが好きなことをして居ようが、単独行動をしていること)は、夫がいてくれるからこそ可能になることだ」と。そして、夫のことをありがたいな、とも思う。
昔に比べたら、今は全く無いに等しいかもしれないが、それでも世の中では結婚しないことを色々いう風潮がある。わたしは生き方として独身を通すのは全く悪く無いと思うし、もっというと賢い生き方ではないかとも思う。また、結婚していても子供がいるのといないのとでは、同じ結婚生活でも全く意味が違うとも思う。子供がいないと一人前でないと言われたりもするが、正直、子供がいない方がこれもまたよほど賢い選択だと思ったりもする。一方、結婚して子供がいるということは大変だけれどこれ以上の修行ではない、とか、いい経験をさせてもらっている、など急に人生を修行と見立てて価値を創出したりしてみたりもする。喜びも大きいんだ、とかね。そして、それは実際、全部本当なんだと思う。
「ソロ活動系」の前は「おひとりさま」という言葉も流行った。みんな、結局ある部分については自分に無い物を持っているジャンルのひとたちに対して、多少の羨ましさを持っていたり、反対に反感を持ったりする。そうやって、“自意識”を落ち着かせるために、いろいろなことを言ったり、ひとに「ラベルを貼ったり」するものなんだ、と思う。絶対的な幸せも、絶対的な不幸も、実はない、というのが真実なんだと思う。
今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。
25歳過ぎの独身女子を「クリスマスケーキ」と呼んでたって、今考えると笑える。(焦ってた自分って、さらに笑える)
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