最高の解決法
「テレビでも見て、あまり何も考えないんです、ワッハッハと笑って、美味しいものでも食べて。」
そのように言われたことが、これまでの人生で3回ほどありました。まったく別の時期に、まったく別のことで行った、全く別のジャンルの2人のお医者さまと1人のカウンセラーの方の言葉です。はるか昔のことですが、ふと、昨日この言葉が思い出されたのです。
わたしの住む小さな町で、このところ自ら命を絶った方が数人いたという話を、複数の方から続けざまに聞きました。穏やかではないけれど、こうしたことは大切なことだと思います。「どうしても“今”しておいたほうがいい話」というのを感じることがわたしにはあって、そんな時は無性に書きたくなるのですが、今日はどうもそんな日のようです。
通常の安定した冷静な判断や考え方ができる機能が働いていたとしたら、しないであろう選択をしてしまうこと、それが自殺なのだと思います。正気であれば自ら命を絶つことなどしません。正気である・ない、とは、正常か異常か、という話ではなく、機能する状態にあるか・ないかの問題です。明確な線引きや色分けができるものではなく、わたし達は誰しも、そのような状態になることが、ありうるわけです。ある精神科医によれば「人は誰しも、人生で二度や三度は本格的なうつ病になっている」んだそうです。
落ち込みは日常でもあることですが、ずっとストレスやプレッシャーにさらされる日々が続き、まともに頑張り続けると、精神状態は常に警戒態勢・緊急状態にあります。“壊れる”という状態はこうしてできていきます。 自ら死を選択す場合だけではなく、「最近落ち込みがひどいなぁ」という場合、人間としては大きなくくりでは同じような状態にいるんです。
特に、普段から真面目、真剣、集中して取り組みわき目も振らない、というようなひとの場合、こうした状況になると、自分を追い込んでも、そこから逃げ出さず、悪いスパイラルに入っていくことが多いようです。 目の前の自分が直面している状況は、とても難しく深刻で、その問題を「何とか解決しなければ」と常に考えていると、視野が限定的になったり、神経がすり減ってしまい効果的な思考が働かなくなってきます。
そんな時に、“驚くような治療法”があるというのです。それが、冒頭に述べた「テレビでも見て、ただ笑って、あまり考えずに、美味しいものを食べる」というようなことなのです。
最初にこの言葉を聞いたのは、池袋の心療内科の医師から。新卒で初めての東京でのひとり暮らしと、ハードな丸の内の外資系総合職としての仕事、友人がいない寂しさなどから、悪循環に見舞われた日々が続いた時のこと。
2度目は30代前半に、プライベートのいざこざがあり、それをどうにかしようと自虐的に考え続けた時に受けた著名なカウンセラーのカウンセリングルームで。
3度目は結婚してからなかなか子どもを授かることができず評判を聞いて新幹線で通っていた不妊治療の病院の副院長の診察室で。
どの場合も、自ら命を絶つことまでは考えていなかったものの、そんな時のわたしの視野は狭くなっていました。問題についてとても真剣でシリアス、頭でっかちで、そして「とても頑張って」いました。
自分で考える、努力する、一生懸命になる、自己責任、頑張らなきゃ・・・こうした考えは、精神的に健康で、かつ、頑張るべき時であれば、機能します。けれど、いつなんどき万事に対しても真実というわけではない。
不妊治療の時をのぞいて、その言葉を聞いたときは、「本当にそれでいいんですか?」と思ったものです。だって「テレビ見て笑って食べるだけ」では、けっして解決することではないように思えたからです。けれども最も重要なのは、「解決する」ことではなく、「解決できる状態=機能する状態」を作ることだったのだ、というのは、後になってわかったことです。
今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。
やってもやってもダメなら、悲観的に考える前に、ダメなことを続けることを辞めること。
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