「秘密の場所」とコーチング・スペース

「秘密の場所」というコトバを聞くと、 なんとなく、ワクワクとなる。 


あまり時間がないときに、ある風景画像を保存しておきたくて、保存名をジックリ考えないまま、デスクトップに保存した。後日その画像を開いたとき、自分が保存したにもかかわらず、保存名が「秘密の場所」となっていたのに気がつき、画像以上にその名前にグッときた。 


「秘密の場所」と言われて、思い出す場所はいくつかある。その一つが「コーチングスペース」とわたしが呼ぶものだ。 


コーチングセッションでは、コーチとクライアント、ふたりの人間が、クライアントの人生のために、ふたりだけの“スペース”を共有する。 


誰にも言ったことのないクレイジーなことも、口に出すのがはばかられるような不遜で汚らわしく恥ずかしいことも、こんなことを考えるなんてそれ自体がどうかしていると思われるようなことも、どんなことでも言うことも、することもできる。そんな冒険し放題の“安全なスペース”が、コーチングスペースだ。 


わたしが新米コーチの頃、その“コーチングスペース”のことを想像するとワクワクした。 そこは、ピーターパンのネバーランドのように自由自在に飛んだり跳ねたりができるところにも思えたし、ありえないような美しい自然の風景が見える聖なる場所をのぞみ自分のビジョンや神聖なミッションを思い出す場所にも思えた。あるいは、自分だけの美しさを思い出すための、小説「秘密の花園」に出てくるようなひっそりと存在する花園・・・。 


ある日、わたしがコーチのトレーニングを受けていたカリフォルニア州サクラメントのあるギャラリーで、デッキにおかれた二つの椅子が、美しい風景に向かって置かれているポスターを見つけた。わたしはそのとき、「これがわたしの内にある “コーチングスペース”」と感じた。畳半分くらいの大きさもあろうかと思われるそのポスターだったが、日本に持って帰り、わたしは当時のセッションルームに飾った。 


今のようにskypeやzoomなどはなく、セッションはもっぱら電話だった。そして、電話をすると常に見えるところに、その「コーチングスペース」の絵があった。その椅子のひとつにはわたしが、もうひとつの椅子にはその都度わたしのクライアントさんたちが座っている、そういう設定で毎回セッションをした。もちろん、わたしのクライアントさんたちは、その椅子に座っていたことなど、知る由も無いのだけど。 


もうひとつの「秘密の場所」は小学校四年生のとき当時の親友と二人っきりで毎日のようにおとづれた、森に囲まれた一角の空き地にあった、一本の木があった場所だ。 なんの木だったのか、名前は今だにわからない。なめらかな木肌で、大人の胸の高さくらいから二俣に枝が分かれ、そのうちの一本は地面に水平に伸びていて、私たち二人が腰掛けてもビクともしないくらいのしっかりした枝だった。わたしたちは木に登っては、色々な話をし、交換日記を書き、一緒に詩を作った。その木を、少女たちは「おかあさんの木」と呼んでいた。 


学年が変わり、いつしか私たちは「おかあさんの木」をおとづれることが無くなった。高校時代にその場所が開発され、マンションが立ち並んでいるのを見つけた時、胸が痛むのを覚えた。自分のせいではなかったけれど、おかあさんの木とその森を、見捨てたようなそんな罪悪感にも似た寂しさがあった。 


今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。 

秘密の場所って、自分の望みが詰まっている場所なのかもしれないですね。 

Mika Nakano Official Blog

軽井沢から、ライフ・文化・自己実現・現実化・コーチング・ピープルビジネスのエッセイをお届けしています。

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