スマートな自己実現


あたり前のことに、

ある瞬間、ふと、気づくことがある。


今日気づいた“あたり前のこと”とは、 


  “How”の前に“What” 


10年ほど前、あたり前に“わかっていた。

でも、今回は、それといっしょに、

こんな図も浮かんだ。 


このピラミッドのヒエラルキーが重要。 

“What”とは、ビジョンのことで、 

“How”とは、アクションプラン、つまり施作。 


ボトムにあって土台となるのは、 

“ビジョン”つまり「なにを現実化したいか。」 

どんなふうにありたいか、 

どんなふうになりたいか、 

という、イメージやビジュアル。 


 “ビジョン”という言葉は、 

ビジネスや自己啓発などあちこちで使われ、 

そのために “使い古された感”のある言葉になった気がして、個人的には残念に感じている。 


本当の“ビジョン”っていうのは、

ひとの“こころ”または“魂”のイメージする、

 “内面にある青写真”のようなもの、と思う。 

私たちの内に青写真があるから、 

何をしたら良いかも見える。 


そして、それがどこから来たか、

どのような感覚をもたらすのか、 

の内的探索を次のステップで行う。 


わたしはこの一手間を大切にしたい。 


ビジョンと思っているものが、 

ひとのモノマネだったり、 

あるべき論から来ていると、 

つまり、心からのビジョンでないと、 

“変化したくないわたしたち人間”は、

ビジョンを達成する十分な力が出ない。 


場合によっては心からのビジョンの障害が

ここで見つかる場合もあり、 

そういう場合は速やかに処理をすればいい。 


そうして出来たプランとアクションプランは、 

かなりパワフルで成果が出る。


ところが、本当のビジョンでない場合、

「どうしたらいいか」ということばかりに、

 気がいくことになる。 


What=どうなりたいか、がないまま、

「ここでないどこか(今よりマシなところ)」

 に行こうとしている、ってことが結構、ある。


こうなると、

How=どうしたらいいか、に走ってしまう。


辛いと思えば思うほど、

マズイと思えば思うほど、

空回りになるアクションプランが先行する。

そうなると、”泥試合”になる(ことが多い)。



"How"ではなく、"What"

--せわしない時期だからこそ、

ちょっと立ち止まって問いかけてみるのもいい。



今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。 

しかし、図にすると、急に無味乾燥な感じになってしまうなぁ。 

Mika Nakano Official Blog

軽井沢から、ライフ・文化・自己実現・現実化・コーチング・ピープルビジネスのエッセイをお届けしています。

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