宝くじと小梅ちゃん
買い物が終わって駐車場へ戻っている時、
これまでみたことのない人だかりが見えた。
よく見ると、年末ジャンボ宝くじのノボリ。
それは、日本では年末の風物詩になっている。
変かもしれないけれど、
あえてさせて頂きたい“問い掛け”がある。
“「宝くじ」を買うことについて、
何%ほど自分にオッケーを出してますか?”
わたし自身は、去年・おととしと縁起をかついで、
東京のとっても人気の高い(だから、ものすごく並ぶ)売り場で宝くじを買ってみた。
実は、わたしが宝くじを買うには、
多少なりとも“決心”が必要でした。
というのも、過去何十年にも渡り、
「宝くじを買うのって、どうなんだろう」という思いがありまして。
“ギャンブル的”だし、
“天を運に任せて”
“努力もなしに”お金を得ようとして、
当たれば、“勘違いをし”
場合によっては“人生を狂わせ”
ハズレたら“ドブに捨てるような”もので、
ハズレたひとの“犠牲”の上になりたってて、
だいたい確率的にいって・・・。
と、まぁ、そんな風にたくさんの “宝くじを買わない理由”があるわけです。
そう、それは、
“ガッカリする可能性の方が高い”
“損をする確立の方が大きい”という “怖れ”を核としてます。
そして、そのまわりを “道徳的かつ倫理っぽい戒め”が
あめ玉のように包んでいるのです。 (ロッテの“小梅ちゃん”のようなイメージ。)
しかし、その売り場を通り過ぎる時、
一抹の夢が風とともにやってきて、
私のこゝろをもてあそぶ。
もしわたしが宝くじを買うのなら、
“自分に卑しい気持ちがある”ことを認め、
ある種、そうした“全うなひととしての良心”を捨てることになる。
そして、そこまでしたにもかかわらず・・・ →(小梅ちゃんの世界に戻る。)
アホな話ですが、そんなわけで宝くじを買ったことはほとんどなかったんです。
3年に一度「宝くじについての世論調査」が行われる。
昨年の調査結果では、前回の調査時より373万人も購入人口が減っている。
平均購入額はピークだった平成19年の36,280円より1万円も下回る26,650円。
「この一年宝くじを買ったことはない」ひとが全体の44.9%で、半分の人は手を出しさえしない。
ところで、
去年の結果を正直に言うと、
3万円買って6000円当たった。
ひとから「結構良いほうじゃない」と言われて、
それが、ちょっと慰めになったりしている。
わたしがおととし捨てたのは『判断。』
これが良い・悪いと過多に考えること。
そして得たのは『気楽さ』と『楽しみ。』
おめでたい性格のわたしは、
どこかで「もしかして・・・」などと、
“取らぬ狸の皮算用”をしたりして、
窓口ではひそかに興奮状態を楽しんだ。
今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。
当たり前だけど、宝くじも買わなきゃ当たらない。
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