コーチングの美しさ


 私は美しいものが好きだ。 


コーチングとわたしが呼んでいるプロセスは、 

いろいろな美しさを持っていると思う。 


まず、言葉を使う。 

言葉は記号だから、限定的かつ曖昧さを含む。 

始めから制限があるものと知りながら、

 極限までそれを使うよう切磋琢磨し、 

ときにその制限さえも超える。 


そして、二人のひとが必要。 

ひとりの優秀なコーチだけでは成り立たない。

 “その人の人生の唯一人のエキスパート”である 

クライアントとの、二人の恊働プロジェクトだ。 


コーチングセッションという1時間ほどの時間、

それは、二人だけの自由で制限のないスペース。 

そこでは何を言っても、何をしても、構わない。 

判断や批判、意見の押しつけや、当たり前もない。 

自由で、冒険が出来るワンダーランド。 

普段思ってもいなかった発見が、毎回ある。 


この二人のコーチングセッションを、 

即興の“ダンス”と表現することがある。 

わたしはと言えば、 交響曲〜シンフォニー〜を思い出す。 

多楽章からなる調べは、 たいてい静かな序章から始まり、 

様々に異なる展開をしながら、 

クライマックスを迎え、幕引きとなる。 


 わたしは、 コーチングし合うひとの姿を見るのが、大好きだ。

 それは、いつも、本当に、感動的だ。 


 プロコーチになりたい人、 

企業で半強制的に研修に来る人、 

身の回りの人の助けになりたくて始める人、 

自分の人生をより良くしたくて学ぶ人。 


いろいろな人がいるけれど、 

どんなひとでも、 向かい合いコーチングを始めると、 

例外なく、 生気を取り戻し、 

その部屋自体のエネルギーが、どんどん上がる。 


これが、すごい。 

本当に、例外がない。 

半強制的に来させられたと思っている人さえも。 

二人で、生きている喜びや、尊厳、可能性、 

そんなものを感じ合い、与え合い、響き合い、 

螺旋状のように階段を昇っていく様子が見える。 


そういう関係性というのは、 

現代社会では、なかなか経験することがない。 

こういう関係性があれば、 

人が望みを失うこともなければ、 

自分の素晴らしさを思い出すことが出来る。


 “人生が美しい”のは、 

裕福だからでも、 

成功しているからでも、 

風光明媚な場所に住んでいるからでもないはずだ。


 “人生が美しい”のは、 

自分の美しさを知り、 

他のひとの美しさを知っているからだと思う。


 コーチングがすべてを救うとは思っていない。 

けれども、ずいぶんと違いを生むのは間違いない。 


今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。 

コーチングを教えて13年目、まだまだ美しさに気づく余地は、ある。 

Mika Nakano Official Blog

軽井沢から、ライフ・文化・自己実現・現実化・コーチング・ピープルビジネスのエッセイをお届けしています。

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