人生の作風
==ある男の人生==
海辺の町に若い男がいました。
いつかこの海の向こうを見る日が来るだろうと
心のどこかで、そう思っていました。
そう思うと、胸がひろがり、ワクワクしました。
働いてお金を貯めました。
愛する人と巡り会い、愛を誓い合いました。
こどもが生まれ、家族を育み、養い、 そうして、若かった男は、老人になりました。
このストーリーの続きは、どうなるでしょうか。
① 老人は、叶うことのなかった夢を想い、 目に涙を溜め、海に沈む夕陽を見ました。
② 「海の向こう”は見れなかったけれど、幸せな人生だった。」と老人は呟きました。
③ 「さて、これからだ。海の向こうが見れるぞ」長年の夢だったヨットを手に入れた老人は、海へと躍り出ました。
今回選んだものは架空の老人のストーリーでした。
けれども、わたしたちはそれと全く同じように、自分の人生のストーリーを書いています。
シビアでシリアスが好みのひと、
波瀾万丈なストーリーが好きなひと、
犠牲と辛抱のストーリーがいいと思うひと、
いったい何をやっているのかわからないひと、
ニヒルなテイストがカッコいいと思うひと・・・
そういう具合に、
なんとなく“人生の作風”は決まってくる。
大抵のひとの人生の作風は、一生変わりません。
そもそも、自分でストーリーを書いていることに気づいていない。
仮に、自分でストーリーを書いていることに気づいても、
別なストーリーを書く人生の一歩を踏み出さないから。
わたしたちは幼い頃、 絵を沢山描きました。
上手くても下手でも・・・。
本来の私たちは、あんな風に、
自由に、気楽に、満足のいくストーリーが書けるはず。
わたしがこのブログを始めようと思ったのは、
わたしたちがそのことを思い出し、
自分の人生を愛し、
自分の描いたストーリーを生きることを楽しむために、
きっかけのひとつとして存在できたらいいな、
と思ったからです。
わたしのちょっと前のストーリーは、為せば成る、でした。
今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。
これからのストーリーは、なんだって楽しんで出来ちゃう、にしようかな。
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